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東京高等裁判所 昭和51年(行ケ)59号 判決

原告 本間幸雄 外四名

被告 新潟県選挙管理委員会

主文

被告が昭和五〇年一〇月一九日執行の両津市議会議員一般選挙における当選の効力に関する坂本兵衛門・高野久・本間秀寿の審査の申立について、昭和五一年五月四日付でなした裁決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一  原告らは主文同旨の判決を求め、被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

二  原告らは請求の原因として次のとおり述べた。

(一)  原告らは昭和五〇年一〇月一九日執行の新潟県両津市議会議員一般選挙(以下、本件選挙という。)における選挙人である。

(二)  本件選挙について即日開かれた選挙会は、候補者柴田四郎右衛門を含む二六人を当選人と決定し、両津市選挙管理委員会に報告して、その旨告示された。同選挙において選挙会の決定した柴田四郎右衛門の得票数は四二六・九二七票(固有の得票四二一、按分加算票五・九二七)で当選者中最下位であり、次点の候補者浜本七右衛門の得票数は四二五票であつた。

(三)  本件選挙の選挙人である坂本兵衛門・高野久・本間秀寿は、両津市選挙管理委員会に対し右当選の効力に関する異議の申立をしたが、同委員会は同年一一月一九日申立を棄却する旨の決定をした。

(四)  右決定を不服とする同人らは、同年一二月三日被告に対し審査の申立をしたところ、被告は、昭和五一年五月四日、右申立を容れて、さきに両津市選挙管理委員会がした決定を取り消し、本件選挙における当選人柴田四郎右衛門の当選は無効とする旨の裁決をなし、同裁決は同年五月一一日付新潟県報号外により県選挙管理委員会告示として公示された。

(五)  右裁決は、選挙会が有効票として柴田四郎右衛門および候補者高橋秀世の得票に按分加算した「サカヤ」と記載された票二票と「酒や」と記載された票一票の計三票、選挙会が有効な柴田四郎右衛門の得票とした「ホンテン」と記載された票一票および別紙表示の一票をいずれも無効票とし、選挙会の決定した同人の得票数四二六・九二七から前記三票の按分加算数一・六三六およびその余の二票と、右二票の減に伴う候補者柴田金治との間の按分票の減〇・〇一二とを差し引くと、柴田四郎右衛門の得票数が四二三・二七九票となつて、次点者の得票数を下回ることを理由とするものである。

(六)  しかしながら、本裁決は、本件選挙が、他との交流が比較的制約された佐渡という島部で行なわれた、有権者数わずか一万六四七六人の、しかも各候補者はそれぞれの地元における地縁ないし血縁的な結びつきの親しい関係を基盤として立候補している市議会議員選挙であるだけに、ほとんどの候補者について、職業・氏名・地名・先祖から継承した呼称等多様な由来をもついくつかの呼称が通称としてそれぞれの社会生活上使用されていることに伴い、これら通称をもつて選挙運動が行なわれ、投票においてもこれに応じた表記が多くなされているという地域的選挙の特殊性を故意に無視し、柴田四郎右衛門の当選の効力に関する判断についてのみ、厳格に通称を制限するという違法をあえて行なつたもので、以下に述べるとおり前記の五票はいずれも有効票と判断されるべきものであり、右裁決は取消を免れない。

(1)  「サカヤ」および「酒や」と記載された投票について。

柴田四郎右衛門の家は、源を遡りきれぬほど古くから代々酒造りを業として営み、「酒屋」と呼称されてきた。その結果、現在に至るも、柴田四郎右衛門は、その社会活動において、近在住民・知人・友人・取引先等から「酒屋」(または後述の「本店」)と呼ばれ、これが通称となつており、同人も本件選挙において「柴田酒屋」なる呼称届をしている。

ところで、佐渡地方、とくに本件選挙区である両津市内の旧両津町・旧加茂村地域においては、「酒屋」という呼称は醸造元であるいわゆる「造り酒屋」を指して使用される慣習があるが、両津市内において近年まで造り酒屋を営み、「酒屋」と呼ばれる者は、同人以外では、同じく本件選挙の候補者である高橋秀世だけである。したがつて、旧両津町・旧加茂村近辺にあつては、「酒屋」といえば柴田四郎右衛門または高橋秀世を指すものとして通用しており、右通称を記載した三票は、両候補に対する有効な投票と認められるべきである。

(2)  「ホンテン」と記載された投票について。

柴田四郎右衛門の家では、大正五年頃、祖父の代に、酒類小売販売を目的とする支店を開設したが、当時佐渡においては支店を持つことは画期的なことであり、以来この支店に対し柴田家は「本店」と称せられることとなり、その当主を指しても「本店」と呼ばれるようになつて六〇年余を経過し、柴田本店の名を印した商品とともに、「本店」の名はあまねく流布するに至つた。

そのため、支店が別の企業となり、本店・支店関係は存在しなくなつた現在においても、柴田四郎右衛門は、前述の「酒屋」と同様、近在住民・知人・友人・取引先等の間で広く「柴田本店」またはこれを縮めて単に「本店」と呼称されており、右呼称は同人の通称となつていて、本件選挙においても、同人は「柴田本店」なる呼称届を出しているほか、その選挙ポスターのうち一部のものには「ホンテン 四郎(シロ)右衛門」とのみ表示して相当数掲示しているほどである。同人の得票中に「柴田本店」と記載したものが一三五票もあつたことは、選挙運動において候補者柴田金治との混同を避けるため「本店」を強調したことを考慮に入れても、その通称としての通用度を裏付けるものである。

そして、両津市内において、通常「本店」と呼称されるのは同人しかおらず、まして本件選挙の候補者中には、「本店」と呼ばれるものは同人のほかには皆無である。

したがつて、「ホンテン」と記載された投票は、同人の通称を記載したものとして有効とされるべきである(なお、右投票が有意性を主体とした「本店」でなく、発音に主眼をおいて「ホンテン」と記載されたものであることも、それが普通名詞としての記載でないことを示している。同じことは前項の「サカヤ」と記載された投票についてもいえる。)。

(3)  別紙表示の投票について。

右投票に記載された字数・記載者の字画の崩し方の癖・リズム感を念頭において読めば、その記載は「柴田四郎次」と判読するのが自然であり、判読不能ではなく、「柴田金治」と読まれる可能性もない。

「四郎次」は柴田四郎右衛門の家の先祖からうけつがれた屋号であり、先代である亡父は戸籍名も「四郎次」であつた。そして、当主を代々同一名で呼称するこの地方の習慣から、柴田四郎右衛門も先代と同じく「四郎次」と呼ばれることもあつた。加えて、長い名を短縮した呼称を用いていると、フルネームを忘失することもある事情を考慮するときは、右投票は、柴田四郎右衛門に投票するつもりで記載された有効票であることが明らかである。

三  被告は答弁として次のとおり述べた。

(一)  原告らの請求原因(一)ないし(五)の事実は認める。

(二)  請求原因(六)の事実については、本件選挙の有権者数が一万六四七六人であること、柴田四郎右衛門および高橋秀世の家が造り酒屋を業としていたこと、柴田家で支店を開設したこと、「柴田本店」なる呼称届の出されたこと、原告ら主張のようなポスター(ただし、「ホンテン」ではなく、平仮名で「ほんてん」と表示されている。)の印刷されたこと、柴田四郎右衛門の亡父の名が「四郎次」であることは認めるが、その余の点はすべて争う。

原告ら主張の五票の投票をいずれも無効とした本件裁決の判断は、以下に述べるとおり、いずれも正当である。

(1)  「サカヤ」および「酒や」と記載された投票について。

柴田四郎右衛門および高橋秀世が、ともに近隣の者等からその店を含め酒屋と呼ばれている事実は、本件裁決も認めているところである。しかし、これは、両人が醸造会社の経営に関係する者であり、酒類の小売店を営んでもいることから、一般にその職業名として呼ばれているのであつて、同人らがそのように呼ばれるのは、地元の部落もしくはその近辺に限られ、また、近隣・友人の如く限られた人との間、限られた会合においてであるにすぎず、職業名である酒屋が同人らの氏名と同様に通用する通称にまで転化していると認められるような事情は存しない。したがつて、前記各投票を両人に対する有効投票とすることはできない。

(2)  「ホンテン」と記載された投票について。

本件裁決も、柴田四郎右衛門の店が「柴田本店」と呼ばれ、電話帳にも「柴田本店」と登載されており、同人自身を指しても「柴田本店」と呼ばれ、ときには近しい間柄の者から「本店」と呼ばれることもあることを認めている。しかし、本来「本店」とは、会社や商店などの事業所における支店もしくは分店に対応するありふれた普通名詞であり、それが特定人の通称となつているというためには、余程特別の事情が存しなくてはならないが、本件でかかる事情の存在は認められず、「酒屋」と同様、ごく限られた地域内の親しい間柄の者の間の呼び方として用いられることのあることがうかがわれるにとどまるのであつて、そのことから、「本店」が柴田四郎右衛門の通称となつているものということはできない。「柴田本店」なる呼称が商号として通称化し、本件選挙運動においても使用されているにしても、その一部である「本店」のみの記載をもつて、氏または名の一方を記載した場合と同視し、有効とすることができないことはいうまでもない。したがつて、前記投票を有効と認めることはできない。

(3)  別紙表示の投票について。

右投票の第三字以下は判読が困難である。

また、仮に第三字を「四」の不完全な記載であるとしても、その下の文字は「郎」の体をなすものではなく、第三字と合わせて一個の文字である可能性も否定できないし、最後の字は「次」のようでもあり「治」のようでもあつて、明らかでない。そのうえ、「柴田四郎次」は昭和四二年に死亡した四郎右衛門の父であり、また「四郎次」が屋号であるという証拠は、祖父斎藤繁が養子に行き、後にそこを出たという柴田本家のこととしてしか存しない。したがつて、右投票の記載を「柴田四郎次」もしくは「柴田四郎治」と読んだとしても、本件選挙の候補者中に柴田金治がいるので、いずれの氏名を誤記したものか判断しえず、これを有効票と認めることはできない。

四  証拠〈省略〉

理由

一  原告らが請求原因として主張する(一)ないし(五)の事実については、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件裁決において無効投票とされた原告ら主張の投票五票の効力について判断する。

(一)  「サカヤ」と記載された投票二票および「酒や」と記載された投票一票の効力について。

「酒屋」という言葉は、本来、酒類の醸造・販売を業とする者を指す普通名詞であることは、説明するまでもない。そして、証人野本豊の証言および原告田中敏雄の本人尋問の結果によると、佐渡地方においては一般に酒造業者のみを酒屋という慣習のあることが認められるが、そのことが直ちに、「酒屋」が普通名詞たる職業名であることを否定すべき理由にはならない。

ところで、成立に争いのない甲第一二号証の一、柴田四郎右衛門方および千両酒造有限会社福浦工場の写真であることに争いのない甲第一五号証の一、高橋秀世方および同会社梅津工場の写真であることに争いのない同号証の二、証人石塚亜樹の証言と弁論の全趣旨に徴し真正に成立したものと認められる乙第八号証に、証人柴田四郎右衛門(第一回)・同柴田正一郎の各証言を総合すると、柴田四郎右衛門の家では、祖父繁の時代以前から市内加茂歌代字福浦の現住居地において代々酒の醸造、販売を業としてきたこと、一方、柴田四郎右衛門と同じく本件選挙に立候補した高橋秀世の家も、市内梅津の現住居地において古くから酒の醸造・販売を営んできたこと、両者は昭和四〇年九月に合体して千両酒造有限会社を設立し、両者の醸造部門はそれぞれ同社の福浦工場および梅津工場として営業を継続するに至つたが、それとともに、両名がそれぞれの個人営業として酒類の小売業を営み現在に至つていること、なお両津市内には、本件選挙当時、同社以外には酒造業を営む者はなかつたことが認められる。

右の事実からすれば、柴田四郎右衛門および高橋秀世の家ないし店とともに、その当主である両名が、その職業の故に「酒屋」と呼ばれることのあることは、推測するに難くないところであるが、前掲乙第八号証および柴田四郎右衛門・柴田正一郎・野本豊・田中敏雄の各供述のほか、成立に争いのない甲第六号証の二ないし四、弁論の全趣旨により成立の認められる同号証の一および甲第一三号証の一ないし三五に証人市橋裕作・同加藤三郎の各証言を総合すると、現に、両名とも近隣の者等から「酒屋」と呼ばれることがあること、しかし、柴田四郎右衛門の場合は、後に判示するように、営業上も一般社会生活上も「柴田本店」の名ないしそれを略した「ほんてん」の呼称が使用されることが多いのに比べ、「酒屋」と呼ばれることは遙かに少なく、本件選挙運動用のポスターや推薦状においても、同姓の柴田金治候補との混同を避けるため「ほんてん」や「しろ」の表示があるのに、「酒屋」ないし「さかや」の記載はないことが認められる。

してみると、少なくとも柴田四郎右衛門については、「酒屋」と呼ばれることは限られた特殊な機会・範囲においてでしかないものというべく、したがつて、前記柴田正一郎の証言によつて認められるように佐渡の各地でどの酒造業者もその職業名の故に「酒屋」と呼ばれることのある例とは違つて、「酒屋」が柴田四郎右衛門の氏名に代る通称として、職業名から固有名詞に転化しているものとは、到底認めることができない。

それ故、「サカヤ」・「酒や」と記載された前記三票の投票をもつて柴田四郎右衛門の通称を記載したものとして有効としたうえ、これを同じ通称をもつ高橋秀世との間でそれぞれの得票数に按分加算されるべきものとする原告らの主張は、採用することができない。

(二)  「ホンテン」と記載された投票一票の効力について。

前掲甲第六号証の一ないし四・甲第一三号証の一ないし二七・乙第八号証および柴田四郎右衛門・柴田正一郎・市橋裕作・加藤三郎・野本豊・田中敏雄の各供述のほか、成立に争いのない甲第一一号証・甲第一八号証・乙第九号証・乙第一〇号証、右田中敏雄の供述により本件選挙における宣伝カーの写真であると認められる甲第四号証の一、証人柴田四郎右衛門の証言(第二回)によつていずれも成立の認められる甲第一九ないし第二二号証を総合すると、柴田四郎右衛門の家では、祖父繁の時代である大正五年頃、旧両津町(昭和二九年に近隣の数ケ村と合併して市制を施行した時期以前の両津町)の夷に酒の販売店を出してこれを支店と称したことから、醸造元の方は「柴田本店」と称するようになつたこと、当時の佐渡地方においては支店と称する店を持つことはほとんど前例のないことであつたこともあつて、酒びんのレツテルや包装紙等にも表示された「柴田本店」の名は、柴田酒造場の恰好の商号として、旧両津町一円から島内の他町村にまで流布するに至つたこと、その後、戦争末期の企業整備により一時他の業者と合体し、戦後昭和二三年には法人化して有限会社柴田酒造場となり、さらに前記のとおり昭和四〇年に高橋秀世と共同して創立した千両酒造有限会社が醸造部門を継承し、祖父繁・父四郎次のあとを継いで当主となつた四郎右衛門は個人としては酒の小売業のみを営むようになり、一方、前記夷の支店は昭和四〇年に独立して有限会社巴屋となる等の変遷があつたが、この間「柴田本店」の名は、柴田家の営業を表象する称号として、右のような事業体の変遷にはかかわりなく使用されただけでなく、営業を離れた、日常の手紙のやりとりその他の社会生活一般においても、柴田家ないしその当主を指す称号として、戸籍上の氏名に代つて広く用いられてきたこと、そして、口頭の呼称は言い易いように簡略化される通例に従い、柴田家の者は「ほんてん」の名のもとに呼ばれる習慣が、すでに四郎右衛門の幼時から一般化しており、本件選挙当時、両津市内全域とまではいえないまでも、少なくとも、地理的・経済的に市の中心を占め、有権者の三分の一以上が居住している旧両津町および旧加茂村大字加茂歌代地区一円においては、柴田四郎右衛門を知る者にとつて、特別の場合を除いては、「ほんてん」といえば同人を指す呼び名であるとして、問題なく通用していたこと、かかる現実に立つて、本件選挙にあたり同候補の陣営では、同姓の柴田金治候補との混同を避けるために、「柴田本店」の称号を強調する方針を採り、ポスター・推薦状や宣伝カーの取り付け看板にも「しばたほんてん」・「柴田本店」の表示をして運動をすすめ、開票の結果、「柴田本店」と記載した投票が同人の得票数の三分の一に近い一三五票を占めるほどであつたこと、高橋秀世方においても、使用人にのれん分けをして分店を持たせたことから、「梅川本店」の称号が用いられるようになり、電話帳にも「梅川本店」として登載されている事実がある(なお、電話帳には「柴田本店」の記載もみられる。)が、これを略して呼ぶときは、「本店」ではなく、「梅川」というのが一般であり、他に本件選挙の候補者に「本店」ないしそれと類似の呼称を有するものはなく、選挙会において「ホンテン」と記載された投票一票を柴田四郎右衛門の得票と決するにつき、高橋秀世から推薦された開票立会人を含め、異議を唱えた立会人はいなかつたことを認めることができる。乙第八号証の記載中、右認定と牴触する趣旨に解される部分は採用せず、他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない(両津市選挙管理委員会に提出された柴田四郎右衛門の呼称届に、「柴田本店」の記載はあるが、単なる「本店」・「ほんてん」の記載のないことも、右の判断を左右すべき事由となすには足りない。)。

「本店」という言葉が、本来は、支店・分店・出店などに対応する語として、「酒屋」と同様に普通名詞であることはいうまでもない。しかし、右に認定した事実関係によれば、柴田四郎右衛門を指すつもりで「ほんてん」というときは、それ自体を「柴田本店」の略称たる固有名詞として使用しているものと認めるのが相当であり、かつ、その呼称は、選挙区内でかなり広範囲にわたり氏名に代る通用度をもつ通称となつているものといつてよい。

したがつて、「ホンテン」と記載された投票一票は、柴田四郎右衛門の通称を記載したものとして有効と認めるべきであり、これを無効とした本件裁決の判断は失当といわざるをえない。

(三)  別紙表示の投票一票の効力について。

本件選挙に現れた別紙表示の投票一票は、これを原本の存在およびその成立に争いのない乙第一号証の別表五によつてみるに、字数や字画の崩し方および運筆上の記載者の癖を念頭において自然に判断するときは、「柴田四郎次」と記載したものと判読するのが相当である。被告の主張や前記乙第一号証、原本の存在およびその成立に争いのない甲第一号証、成立に争いのない甲第二号証および前掲野本豊の供述中には、右投票の記載が判読困難であるとか、「柴田四郎治」とも「柴田四郎様」とも読めるとか、四字と見られなくもないとかの意見がみられるが、これらの意見に同調することはできない。

ところで、「柴田四郎次」が柴田四郎右衛門の亡父の戸籍上の氏名と一致することは当事者間に争いがない。そして、「四郎次」が柴田家の屋号であつたとか、四郎右衛門の通称の一つであつたことを認めるに足りる証拠はない。

しかし、成立に争いのない甲第五号証の二および前掲柴田四郎右衛門の供述によれば、同人の父四郎次は本件選挙の八年以上も前の昭和四二年三月に死亡しており、戦前暫く町会議員をしたことがある程度で、特に政治的知名度の高い人物ではなかつたと認められるから、右投票がすでに死亡して候補者でもなかつた右四郎次に対してなされたものとはいいがたく、そして、本件選挙の候補者のなかには、柴田四郎右衛門以外に、「柴田四郎次」ないしそれに類似する氏名もしくは通称を有する者はおらず、右「柴田四郎次」なる記載は、五字のうち「柴田四郎」の四字までを共通にし、略称するときは同じ呼び名となることも推測するに難くない柴田四郎右衛門の氏名ときわめて類似性が高いということができる(候補者柴田金治の氏名は、柴田四郎右衛門の氏名に比べると、「柴田四郎次」に類似するとはいえない。なお、本件選挙で柴田金治の推薦により開票立会人となつた証人市橋裕作も、右の票を柴田四郎右衛門の得票とすることに異議はなかつた趣旨の証言をしている。)から、右投票は、その記載自体により、柴田四郎右衛門の氏名を誤記したものとして、同人に対する有効な投票と判断するのが相当である。

したがつて、右投票を候補者の何人を記載したかを確定しがたいとして無効とした本件裁決の判断も、失当たるを免れない。

三  以上判示したとおり、「サカヤ」・「酒や」と記載された投票計三票は無効、「ホンテン」と記載された投票一票および別紙表示の投票一票は柴田四郎右衛門に対する有効な投票と認めるべきであるから、公職選挙法六八条の二による按分加算分を除いた同人の得票数は、選挙会の決定どおり四二一票であり、同条による柴田金治との間の按分加算票も、成立に争いのない乙第二号証によつて認められる選挙会の決定どおり、柴田四郎右衛門については四・二九一票となるべき筋合いであり、「サカヤ」・「酒や」と記載された票の高橋秀世との間の按分加算はなされるべきでなく、結局柴田四郎右衛門の得票数は四二五・二九一票となつて、選挙会の決定した次点者浜本七右衛門の得票数四二五票を上回ることとなる。

してみれば、柴田四郎右衛門の当選を有効とした選挙会の決定およびこれに対する異議の申立を棄却した両津市選挙管理委員会の決定は、結局相当として維持されるべきであつて、これを取り消して柴田四郎右衛門の当選を無効とした本件裁決は、失当として取り消されなければならない。

四  よつて、原告らの請求を認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林信次 横山長 三井哲夫)

(別紙省略)

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